人の生きる意味と目的とは?

心想

人が生きる意味と目的とは?

何のために息をして、何のために人と接し、なぜ苦しみながらも生きているのだろうか?

私はある日、病院で担当していた患者さんにこう聞かれた。

「もう生きてたって仕方ないよね?何のためにリハビリ頑張るのかわからない」

笑いながら冗談のようで、彼女なりのSOS(本意)だったのだろう。

その場でしっかりと向き合って応えられなかったことを今でも後悔している。

あれから、人の生きる意味と目的について私なりに考えた。この問題はどうしても私なりの答え(考え)が欲しかった。

稚拙ながらも1つの答えが出たから、書き残しておきたい。

人の生きる意味と目的とは?

人の生きる意味と目的は「幸せになること」

ありきたりだが、いくら考えてもこれ以上の答えは出ない。

今が幸せに満ちているのであれば、それが少しでも長続きするように努力しながら生き続けて欲しい。

しかし今がどん底であればどうだろう。私に質問した患者さんのように、生きる希望を見出せず、ただただ終わりある物語に絶望しながら息をしている。そんな人生、誰しも望むものではないだろう。

たとえどんな時でも希望を持って生き続けなければならない。

「どんな時でも」だ。

離婚や多額の借金、手足が動かなくなったとしても、希望を持ち、幸せになるために生きてゆくのだ。

こう言うと「無責任だ」「お前に何がわかる」こういった声が聞こえてくるのも納得できる。私は借金もなければ離婚もしていない。手足だって自由に動かせる。

人は自分と同じ境遇でない人からの発言は全て「雑音」にしか聞こえない。私も以前まではそうだった。軽々しくわかった気で関わってくる人は苦手だった。でも今回だけは書かずにはいられない。どんな形でも私の想いが誰かに届くのであれば何時間でも費やしたい。これは決して誰かの為ではない、自分の幸せのためだ。

今、あなたがどん底にいるのであれば幸せを探しに旅に出て欲しい。身近なところから遠い空まで、この世界は十分すぎるほど広いのだから。

不幸せを「誰かのせい」にしていれば、いつまで経っても幸せを見つけることは出来ない。もうあなたは汚れたオムツを自分で替えれない赤ちゃんではないでしょう?自分自身を見つめ直し、幸せを探すためには自分で動かなくてはならない。

幸せとは、大金持ちになることや広い人脈を得ること、温かい家庭を築くことだけではない。

朝一番にコーヒーを飲むこと。気が合う友達と話をすること。好きなゲームに没頭すること。お腹いっぱいご飯を食べること。好きな時間に寝ること。誰かに恋をすること。もしかしたら、案外幸せは近くに転がっているのかもしれない。

それでも、毎日が苦しく何をしても幸せを感じない人や虚無感に苛まれている人もいると思う。この世に無数に広がっている幸せを探し出し、それでも何も感じなかった時は旅の終わりなのかもしれない。

しかし世界中の小さな幸せに触れることができた人はこの世にいるだろうか?まだあなたの心を動かす出来事が待っているかもしれないのに、道半ばで勝手に絶望してはいないだろうか?

人は生きてさえいれば知らずと新しいものに触れる。誰かと出逢えば新しい知見を得れる。新たな感情も容易に生まれる。見知らぬ場所に行ったり見知らぬ誰かと出逢うだけで新たな「幸せ」の感情が生まれるかもしれない。

そう考えれば幸せとは案外簡単なものではないか?誰かに採点されるわけでもなく、自分自身で追求できるのだから。

決まった答えのない「自分なりの幸せ」を探していくこと、それこそが人の生きる意味と目的だと私は信じたい。

遊びや仕事、結婚、子育て、趣味や旅行などは、結局幸せのための手段に過ぎない。

自分の心が何に反応し、何に幸福を感じるのか?ただそれだけを考えて生きて欲しい。

幸せの感じ方がわからない方のために、私がしている「自分の本心に問いかける方法」をお伝えしよう。

感情は無数にある。全ての出来事に対して「嬉しい」「楽しい」「悲しい」「辛い」のような大きな感情で私たちは対応できない。もっと小さく、自分でも気づかなさそうな、でも確かにある淡い感情。言葉にもならないけど少し「ポジティブ/ネガティブ」になるような感情。これが日常生活の大半を占めている感情であり、それに視点を当てそっと問いかけてみてほしい。

何でもいい。今の仕事内容や恋人の顔など、少し身近なものを思い浮かべてほしい。そのワードを実際に呟いてみるのも効果的だろう。今、あなたはどんな感情になった?良い気持ちになれば、それは幸せへと導く鍵になるものかもしれない。逆にちょっとでも嫌な感情になれば、それは本心では避けたがっている危険なものかもしれない。

人間は時間をかけてゆっくり考えると、どうしても理想的な自分の答えになってしまう。誰かに伝えた時に「かっこいい」「素敵」そう思ってもらえるような答えを頭の中で作ってしまう。

だが、時間をかけて悩み抜いたその答えは本当に本心なのだろうか?

本心を無視しているようでは幸せに気づくことができない。「犠牲」や「過労」が美徳とされる日本人特有の概念を捨て、他人ではなく何よりも大事な自分自身の心を見てほしい。

淡い感情にはあなたの本心を曝け出してくれる力がある。幸せの感じ方がわからなくなった時は頼りにしてほしい。

我々の先祖もそれぞれ異なる幸せを追い求めていた。世間に認められたり、大きな結果を残したり、歴史に名を刻んだり、子孫を残したり。それぞれ小さな幸せを追い求めていった1つの結果だと思う。

では、あなたはどうですか?

あなたなりの幸せは何ですか?

何に幸せを感じますか?

心が満たされる瞬間は必ずやってきます。でもそれは「生きてこそ」です。

人の生きる意味と目的は「幸せになること」

自分なりの幸せを見つけるために、一緒に生きていきましょう。

最後に

PV数が0に近いこのブログだからこそ、こうやって本心のままに書くことができました。誰かに見られることを意識して書けばまた違ったものになるのでしょう。すごく貴重な作品が出来上がったと思っています。(そんな大層なものではないが)自分の感性を残せる時代に感謝したい。

映画に出てくる言葉で好きなものがあります。

「頭の中にあるうちは何だって傑作」

まさにだと思う。頭で思い描き完璧だと思っても、それを外に出すと何か違うような感じがする。これを書きながら実際に何度も思いました。形にする難しさを知れた良い機会でした。

これまでも、そしてこれからも思考は成長と環境の変化で変わりゆく。今の自分を大切にするためにもこうやって書き残せたことを大事に思い、次へと繋げたい。10年後に見返した時、どう感じるのだろう。ゆくゆくは本を書きたい夢があります。いつの日か誰かの手に届けばいいな。

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